20240128_東浦町 休日の早朝風景と平成初期の昔話+α

休日の早朝4時ごろからの風景と現在の町並みなどを撮ってきました。



2024年1月28日
撮影地:東浦町 藤江~森岡
気温 0.2℃
湿度 83%
風速 北 1m/s

pakapakauaです。

一度やってみたかった東浦町内の徒歩撮影。
知っている限りの昔話(ここ30年くらい)も交えてちょっと(かなり)長めに書いてみます。
基本的には武豊線に沿って直線移動する形で移動しています。

この頃撮っている場所が東浦町に偏っていますが、景観変化のタイムリミットが近い気がしているのでご容赦ください。

この時間帯に町内の広範囲を撮影することになると、電車が使えません。
また車移動となると撮れる部分が地点地点となってしまい多くを撮ることが難しくなってしまいます。ので、結局すべて徒歩となった感じです。



この週は夜勤だったので土曜日はお昼過ぎの15時ごろ寝始めました。12時間ほど寝てもまだ早朝3時でしたが、さすがにそれ以上寝られないので起きて晩ごはん兼朝ごはん。

せっかく早い時間に起きたので、早朝撮影でもやるかぁという軽いノリの撮影でした。




午前4時過ぎ。
東浦駅付近よりスタートしました。
町内における24時間営業のカラオケ店は知る限りビッグエコーのみです。



藤江と生路の境目にあるコノミヤは旧ビッグハウス。自分の記憶ではビッグハウスになった頃からしか知りませんが、ここもハローフーヅであったようです。その昔現在東浦駅前の交差点にある「しまむら」の敷地内にハローフーヅ東浦駅前店がありましたが、小学生にあがるあたり(平成9年?)くらいで無くなりこの場所のみになりました。

横にあるのはコパンスポーツクラブ。聞いた話によると藤江小学校では水泳の授業をここでやっているらしいです。小学校内の屋外プールは老朽化の為改修費用と天秤にかけた結果、町として業務委託みたいな感じになったんじゃないかと推測します。(藤江小のプールの周りは竹林で冬季に積もった枯葉を毎年掃除するところからスタートしていました。理科の授業で水辺の昆虫の観察素材になるくらいアメンボ・ゲンゴロウの住処となっていました。)



生路の信号付近です。昔ながらの肉屋である「とりとら」は無くなってしまいましたが、ここで揚げるポテトコロッケはおいしかった記憶があります。晩御飯のおかずに自転車で買いに行っていました。このあたりに住んでいる方くらいまでは東浦駅まで徒歩or自転車で向かっています。(石浜駅までは若干距離があるので実際この先どこで別れるのかは不明です。メディアス体育館くらいの距離になると石浜駅を使っている友人が多かったです。)



線路を越えて見えるのはゴルフ練習場です。生路生栄二区付近です。
夜間でもだいぶ分かりやすい目印です。
この付近は主に田んぼです。現在でもあまり住宅は多くありません。
水害が発生した場合、標高が低い地域である為ハザードマップでは浸水域となっています。
以降緒川駅付近を除き、森岡駅付近まで住宅地が開発される気配はありません。土地の購入や分譲住宅の購入を考えられている方がおられましたら一度そのあたりも考えられた方が無難と思われます。



こちらは石浜交差点。
ファミリーマートは閉店したのか店内が空となっていました。
現在中古車販売店となっているネクステージは元々立体駐車場付きのパチンコ屋です。
その前が平屋のパチンコ屋で、確か京楽会館だったと思います。京楽会館は現在藤江のエネジェット・セブンイレブンになっているあたりに昔もう一店舗あったと思います。



JR石浜駅です。この時点で日の出までの3時間のうち1時間程度消費してしまいました。
無人の駅でタッチ改札のみあります。割と利用客が多く、通勤通学時間帯に町内では一気に乗車人数が増減する駅です。



石浜駅付近にある住宅地を北上し、緒川に入ります。イオンモール東浦店です。
昼間の駐車場をほぼ埋めるほどの賑わいとは正反対の静まり返った朝の風景。

この建物の敷地は元々紡績工場だったようです。その時代には生まれていない為、比較対象の写真がありませんが親から聞いた話では武豊線線路も高架されておらず、刈谷方面への移動も平成大橋が無く不便だった時代があるとのこと。(約40年前の時代の話です。)


平日の平成大橋の通勤渋滞は朝7時くらいからスタートします。
以降9時頃まではそれなりに混み合います。
休日は9時ごろまではほとんど車が走っていません。



内陸に戻り役場方面へ歩きます。
東浦町中央図書館です。自分が生まれたばかりの頃、この真横のアパートに住んでいました。
そのころにあったアパートはファミールM・MⅡのみで、周りは本当に何もありませんでした。当然に図書館自体も引っ越した当初は無く、建築時の音がやかましかったと親は語ります。この図書館一帯は中学校・文化センター等含め今後30年間で様変わりするそうです。最後のほうにその話は書きます。



フロントの玄関のみ少し増築されたツギハギ状態の町役場。
ここも消防署と合体させた役場・防災拠点へと変化するようです。この時間に役場に来るとすれば夜勤明けに資源ごみを持ち込むことくらいしかありませんが、改めて撮ったことがなかったのでいいタイミングでした。



役場から坂をのぼり、緒川於大が丘方面へ。
この地点は於大公園の裏手あたりです。



北部中学校を経由し、緒川駅方面へ。
もう空が明るくなり始めています。この時点で6時。開始から2時間ほど経過しました。
そして少々遊びすぎました。



東浦町の景色でなくてもいいネタですが、酒とたばこの自販機って最近減りましたねぇ。
運転免許・タスポ等で年齢認証するタイプのやつです。年齢認証系では成人向け雑誌の売っている小屋内に設置された自販機(こっそり堂)等もその一種でしたが、時代の流れとともにごく少数となってきました。ほかには避妊具の自販機とか。大抵、酒屋や薬局の前に自販機っていうパターンが多かったのですが、そもそも個人店のそういった店舗が減ってきているので見なくなってきているのですかね。




緒川駅西交差点まで来ました。東浦を撮ってきたといいましても、改めて緒川・森岡を撮ることがほとんどありませんでした。このタイミングに撮れるだけ撮っておきます。

このエリアには他地域に比べ個人店がまだ残っています。
住宅に関しても新しい住宅より古くからあるものが多く、アパート・マンション等も新築するスペースがあまりありません。ですので、新しい賃貸はイオンモールの周りに建つようになりました。堤防までの距離も踏まえると、藤江・生路・石浜・森岡では見られない現象です。



TSUTAYA・エディオンが無くなった敷地はがらんとしています。
ここからJR緒川駅へもどります。



またイオンモールが見えてきました。駅前にコインパーキングがある場所は町内ではここだけだったように思います。リパークとタイムズで、立体駐車場はイオンと共用でタイムズです。夜間は24:30から7:00まで入出庫不可ですが全日4000円の定期券は屋根付きとしてはまあまあ安いほうだと思います。夜移動が必要な人は車で移動が基本の地域ですので使い勝手悪いかもですけど。



JR緒川駅周辺は長い年月をかけて変化してきました。まだ作り途中の道路もあるので、開通後に変化があるか無いか。ショッピングモール・ドラッグストア・ホームセンター・カーディーラー・スポーツ用品・ファミレスなどが密集しているので生活するには比較的困らない地区です。これ以上専門の店が何か必要かと考えてもあまり思いつきません。あえていうなら中心部に大きな病院というのはありません。緒川駅からコンビニは800mほど離れています。



緒川昭和二区を経由し田んぼエリアを尾張森岡駅まで歩きます。
撮影を飛ばしてしまった森岡の内側について簡単に申し上げるなら、少々坂が多い特徴があります。軽い丘の形状になっており、主に昔からの住宅が並びます。住宅が無くなってくるくらい内陸に入るとぶどう園がポツポツと表れ始め、健康の森の建物が見え始めるといった具合です。ちょっと時間がかかりすぎるのでパスしました。ぶどうはクズぶどうを買ったとしても美味しいです。



周辺が明るくなってきています。この時点で6時30分ごろ。
往路のラストスパートです。


7時頃JR尾張森岡駅に到着しました。
この駅の周辺は知る限りほぼ何も変わりません。
同町内では藤江の端に近い印象の地域です。



当初の計画ではここから電車に乗り帰宅する予定でしたが、この距離の徒歩移動はそう何回もやりたくないので往路とは別ルートで戻ります。

往路はざっくり10km歩きました。(直線では8km無いですが、うねうね歩いていて距離が増えました。)ここから復路10km歩きます。

JR尾張森岡駅から200mくらいでドラッグストア・スーパー・ダイソーの建ち並ぶエリアに出ます。ドミーは長くこの地にありますねぇ。飲食店に関しては確かカツ屋になっている建物がロッテリアだったと思います。





復路も含めてここまでで早朝のターンは終了。
ちょっとセブンイレブンで休憩し、再び歩きます。



緒川に戻りました。現在の代で終了する個人店も多くなってくるかと思いますので、この並びを撮っておきます。学区ではないので、あまり馴染みがないのもあり語れることはほとんどありません。




郵便局付近です。
飲食店が並びます。町内のファミレス(提供ジャンル固定無しのすかいらーく系みたいなやつ)はガストとジョイフルの2店舗です。緒川のガストは23:30まで。藤江のジョイフルが24時間の営業です。ですので、行き場に困った暇な人々は藤江のジョイフルに固まりがちです。



緒川に限らずですが、少し移動するとすぐに本屋やCD/DVD店、レンタルショップなどが見えた気がするのですけど今は全くといっていいほどにその手の小規模店舗が見当たりません。
以前にTSUTAYAの記録でも書きましたが、下画像の建物が書籍販売とCD/VHSレンタルの店舗でした。コアという名前の店です。道路の対岸にはブックマーケット(現在は葬儀屋になっている)という中古のゲーム・CD・漫画などの店がありました。



役場付近まで来ましたので、於大公園の遊具状況を撮りにいきます。



東浦役場東交差点より西向き。


ちょっとその前に寄り道して中央図書館横の小さな橋へ。
明徳寺川にかかる橋のひとつです。橋の舗装が新しくなりました。



以前は中央部に八重桜のタイルが入っていたのですが。
これは公共施設改修・新築の一貫でしょうか。



改修の話、うわさでしか聞いていなかった話ですが、東浦中学校が移転するとか。
2023年の秋ごろ計画が本決まりになった様子です。

明徳寺川のほとりには文化センター・保健センター・東浦中学校・図書館等の公共施設が並んでいます。このあたりは中学校も含め築30年以上経過しているものが多いとのことで改修時期に入っているのだとか。




今後6年スパンで現役場敷地に消防署と役場の複合施設建設、現東浦中学校敷地に文化センター保健センター図書館などを複合化した施設を建設。駐車場は300台規模。




中学校は上記を整備のために現メディアス体育館敷地へ移転。
ほか6地区の小学校敷地に複合施設建設を予定。このことより、早い段階で移転がかかるのは役場・中学校・消防署でしょうか。



休日の誰もいない中学校の様子を外から撮らせてもらいました。
この中学校は北部中・西部中に比べ広いです。藤江・生路・石浜の3地区にある小学校からの生徒をひとまとめにしたものなので中学生になった瞬間に地区を跨いだ人間関係が出来ます。

少子化が叫ばれている昨今ですので、移転の際新築される中学校はもう少しコンパクトになるかもしれませんが、2006年卒業時点でも平均36人程度の学級が7クラス編成であったことを考えると収容人数は×3学年分となかなかな規模の中学校です。ベッドタウンを名乗るだけのことはあります。



まだ八重桜は先ですが、今年は雨の影響無く於大まつり実施されるでしょうか。
懐かしみつつ川沿いを歩きながら於大公園へ。



さて於大公園。
遊具エリアにバリケードができてから見に来ておりませんでした。
令和4年1月からプール解体工事→令和6年3/26に完成の予定で丸2年ほどかけて工事しておりました駐車場付近の整備。なんとなく順調に終わっているように見えます。



旧駐車場側。



新駐車場側。(新駐車場自体はもう使えます。)



エントランス通路



出来上がってきております。
金属と樹脂製ですねぇ。以前の遊具は割と木材が使われていましたので補修が大変だったでしょう。町全体の長期計画では公園が一番最初だったってことなんですかね。藤江の三丁公園ももっと前の段階だっただけでピンポイントにそこだけって話ではなかったということですか。

なにやらボルダリング的なアーチがあります。









案内看板もすべて工事が終わった頃には入れ替えですね。
これも撮っておきましょう。現第二駐車場エリアもなにか作られるみたいですし、おもしろサイクルも拡張される予定ですし。



ここまででも長かったと思いますが、よろしければあともう少しだけお付き合いください。
下写真は乾坤院横の墓地付近から撮影した石浜方面です。



同地点より右を向くと閉鎖したJDIの東浦工場。
あの工場のあるあたりに大病院でもできれば完璧なんですがね。



JDIまでの道路はけっこう綺麗なんですけど、この先に特に何も訪ね先が無いってのも勿体ない道路です。



やっと石浜団地まで到着しました。足が悲鳴をあげています。
この角地にある店舗は「たからや」という総菜屋です。昔たまに来ていました。

この頃政党ポスターを貼らせてくれる場所が無いのか可能な場所にはこれでもかってくらい貼られてますねぇ。マルフク(電話権を担保に融資)やキャッシング枠の現金化ポスターとかもだんだん姿を消してきていますけど、それらが外壁に残っているだけでも古くからある場所って証明になるように感じています。



先ほどから石浜団地と言っているこちらは正式には県営東浦住宅。
※古のネット民ならこの空白が意味するところが分かるはずです。あまり大声では言いません。けど、気になればどうぞってところです。

聞く話によると東浦に限らず 割とどこも高齢化が進んでおり、団地共用部分の管理等でいろいろ難ありのようです。具体的には若い年齢の世帯が入居した瞬間に高齢者は雑用からは押し出しの形。と、順調にローテーションできれば理想なんでしょうけどその若いといわれる年齢が底上げされており、あまり入れ替わりが無く。まぁ実態は理想像の自治会とは言い難いところがあるのだとか。

いまの時代の考え方も後押しして、もうそろそろ住民自治という考え方が限界なようにも見えますけど、どうなんでしょうかお役所様。

これは任意組織であるはずの自治会(コミュニティー)が半強制加入組織と化しているところにも問題があるんだと思いますけど。まだ町内では回覧板を経由して町の広報回している隣組もあることですし。この件に関して地域コミュニケーションという美談を持ち出されることも多いのですけど、いや、持ち回りで雑用やったら税金免除とかならそんな美談も通じるかもしれませんよね。死ぬまで働かないとやっていけないような時代において、時間が有り余っていて休日まで全員が全員無償でボランティアやりたくてウズウズしてるってもんではないんですから。

町内の見た目だけきれいにして誤魔化すことなく、もっと根本的な問題であるこういった事柄に手を入れてこそ本当の意味での住みよい街につながるのではないかと自分は思いますよ。田舎から脱出したがる若者心理や過疎化の原因の中にこのあたりが密接に絡んでると思うんですがね。「うちの町はそういうの無いです!」ってだけでも大きなPRポイントになると思うんよ。ベッドタウンに振り切るなら。





失礼。ここに来たのはそんな話をするためじゃなくて、その地域にしか無いスーパーを撮りおさめておこうという目的でした。

アイプラザ。略して地元民では通称アイプラと呼ばれるスーパーです。



1974年ごろ開店し、建物自体は変化していますが店名はそのままで現存。
しかも営業しているというから驚きです。現在の姿を有難くおさめさせていただきます。
中は入っていないのでわからないのですが、2階部分があるとかいう話を聞いたことがあります。現在はなにか入居しているのか不明です。



同地域には激安スーパー マルスの本店があります。1982年開店ですので、時代としてはほぼ同時期。全国展開の大手がゴリゴリ侵食しているなか現役なのはたくましいと思います。



ようやく最後です。東浦中学校移動の予定地となっているメディアス体育館ひがしうら。
ネーミングライツで名称が変更されているだけで、旧名称は東浦町体育館。地元民は略して町体。





海抜17mに位置し、少しだけ高い場所にあります。この付近の地層は液状化の心配があまりないようですので、これより海抜の低い現中学校よりは安全かもしれません。



体育館の建っているこの施設全体を「東浦文化広場」といいます。
昭和58年2月に竣工。



別日に撮影した写真ですが、近隣の住宅の屋根よりは高い場所であるので避難所としても問題は無いと思われます。



グラウンドが2面とテニスコート・駐車場も含めた総面積では現中学校とあまり変わらないくらいの面積はあるんじゃないですかね。受け入れ側が先に用意されていなければならないので、そうするとこの場所の着工が割と早い時期に決まりそうな予感がします。



健康的な生活からは程遠い生活を送っておりますで、スポーツ振興の拠点にそれほどお世話になることはなかったですが、近いうちに見納めですかね。


午前10時頃帰ってまいりました。
というわけで約5時間歩きっぱなし20km徒歩旅完了でございます。
ここまで読んでくださった方がみえましたら大変お疲れ様でした。




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