20200207_ホームビデオに学ぶ

撮影技術をどれだけ学んだところで、ホームビデオって僕らのような人間には作れない気がします。それはちょっと言いすぎか笑


pakapakaumaです。

今日はちょっと知多半島のことから脱線して、ホームビデオについて考えてみます。
それを語れる立場ではないのですが、語れないなりに語ってみます。

自分が今作っているものといえば最低限 小綺麗に整えてしまった形ばっかりです。
ホームビデオとはまったく別の分野にはありますが、そこに心が感じられるのだろうかと振り返れば疑問がわきます。

ホームビデオのようなものを作ることは、自分のような人間でも多分やれると思います。でも、本当のホームビデオってその当事者にならないと作れないような気がしまして。




自分の時代はhi8やminiDVといわれるテープで親にビデオを撮ってもらっていました。
一本のテープが無くなるまでいろんな場面が詰まっています。 カメラを持つ人の声が入っていたり、手振れが激しかったり、場面の繋ぎがめちゃくちゃだったり。変なところで途切れてたり….。それを味と表現すればそれまでなんですけど。


今、自分が目指している方向とは全く別の分野にあるんですよね そういうのって。
実家に眠る昔のビデオを観るたびそう思います。運動会や発表会で自分の子どものアップだけ撮るなんていうのはホームビデオならではだと思います。

多分自分はそういうのできないんじゃないかなと感じます。おそらく、ビデオ撮ってって言われたら癖で全体とアップ、パンとか組み合わせ始めてほかの部分も撮っちゃいます。カメラマンは喋らないし、鼻息ひとつ入れないように息を殺します….
いろいろ学んだ代償がこれですよ。そこにリアルさが感じられないというか。


家庭でビデオ編集なんてものができるようになったのはここ最近のことですが、 今のホームビデオってどうなんでしょう。やっぱりちゃんとストーリーみたいにして撮るようになったんですかね。

家電量販店でもお父さんお母さん向けの撮影講座みたいなのやってますし、確実にホームビデオの質に関して底上げが為されているように感じます。



そこで思うのは、「ホームビデオの質ってなんだろう」 というもの。
一定の質で作られたホームビデオは本当にホームビデオなんだろうか。


ビデオカメラ自体も、昔のものに比べとても高性能になりました。
ちょっとズームしたくらいじゃ手振れしないですし、ピンボケも改善されてます。
あとは必要なカットとかしゃべり終わるまで撮るとか、そういうところを気を付けていけばそれなりにみることができるビデオが作れちゃいます。

そこまでは技術のお話。

でも、「サクッとそれっぽいものを作る」という方向とはまた別のものがホームビデオの質なんじゃないかなって思うのです。技術先行のビデオというものはある意味型にはまっているとも思いますし、そこに心がどれだけ込められていたとしてもなんだか薄く感じてしまいます。そう感じてしまうのは主観が強いでしょうか?


どんなに技術が無くても「家族で一緒に過ごした時間を残したい」と頑張って撮られたビデオには心が感じられます。それが全く知らない他の家族が撮ったものであっても。
そのあたりが「質」の核になるのかなって。

伝えたいこと、残したいことがとても明確なのがホームビデオで、主観ありきだから素晴らしいと思えるんでしょう。たぶん。

だからといって下手に撮ることを賛美するわけでもないんですけど、誰もが一定の基準に沿って撮るようになった 撮れるようになった今だからこそ考えさせられます。そもそもうまいとか、へたとかそういう次元のものでは無いんだと思いますけどね。



僕は型にはまってないホームビデオのほうが好きです。カッコよくおしゃれに作り込まれたものよりも、ただずっと我が子を追っているだけのような。

なんだか今回は何が言いたいのか明確じゃなくなってしまいました….。
ただ、ホームビデオから学ぶものは確かにあって 映像や写真を残す者としてその姿勢は真似たいところです。

多くの人が最初に撮られるのがホームビデオで、どんなにいろんな表現を経ても 戻ってくるところはホームビデオなのかなぁって思いました。









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