20191022_趣味のはなし

pakapakaumaです。

趣味、楽しまれていますでしょうか。
僕はいま停滞ぎみです。
まだまだ雨は止みそうもないので、また真面目腐ったことでも書いておきます。


 

 

たかが趣味、されど趣味。

 

お仕事と比較するならば、利益などに左右されることなくどこまでも行けるのが醍醐味です。本職のひとに言われたことがあります、「趣味のひとには敵わない」と。ある意味でそうなのかもしれません。

しかしながら 尻を叩かれることのほとんど無い趣味というものは、ある一定のところまでかじってみると、驚くほど変化が緩やかになります。興味を持って、がむしゃらだった初心者の頃の気持ちはどこにいったのかというくらい。

 

どこからどこまでが初心者で、どうなったら中級者で、ゴールとは何であるのか。

 

多分、変化が緩やかになって 刺激が足りなくなったときがそれぞれの境目にあたるのだと思います。自分はこの趣味を小学6年生の頃から、かれこれ十数年続けていますが、幾度も変化の無い時を体験しました。

 

その時どうしていたかというと、技術の向上に挑戦してみたり、別のもの撮ってみたり、撮影趣味とは別のことをやってみたり。とにかく動き続けていました。あろうことか即変化を求めるあまり、目先の最新技術に興味が出て 持ち物のランクアップでそういうものに触れてみて喜んでいたことも正直に書いておきます。

新しいものを知るというのは必要だとは思います。こう書きながらちゃっかり何かやっているのかもしれません。けれど、これがけっこうな成長の落とし穴だったりもして。

 

今、また変化の無い時期を迎えています。
同じように今までのやり方で過ごしてもいいのですが、ちょっとだけ変えてみることにしました。これからの為に。

一旦自分からどん底まで落ちてみる。

仕事でいう、下っ端に逆戻りするような感じです。

やればやるほど経験は蓄積されますし、思い出も残ります。
プラスに考えればいいものなんですが、そういうものは時として邪魔になるときもあったり。表面的なところは成長したように見えても、根本的な成長は阻害される傾向にあります。
なので完全に初心者まで戻ることは不可能なんですけど、そういう積み重ねを無かったものとして、1からが無理なら2とか3あたりからもう一度丁寧にやり直してみる。振り返りともまた違う、原点回帰のようなことをやってみています。

 

時間を経たあとに、もう一度今までにやってきたことをなぞってみるということは 見過ごしていたものを発掘することに繋がりますし、分かったつもりでやっていたことが間違っていたことにも気付きます。
ひとに聞いた、本で読んだ方法をそのまま試していたようなことも、なぜそれがいいのかって考える余地が出てきます。

この頃は、この辺りが長く続けていくポイントのように思ってもいます。上澄みを新たに足していく楽しみ方ではなく、濁ったところを浄化してあげるような楽しみ方。当然、自分を痛めつけていかなければならないのでメンタルは相当やられますけど多くの人がやりたがらないと思うので、ちょっと試してみることに。

もう一度なぞっていく為には日々の記録が必要になります。
そういうときに、どれだけやり方を変えても記録の蓄積として残るこういったブログは使えます。変化する気持ちとやり方、変わらず蓄積され続ける記録。この両者は方向が違うものの成長には強い味方になる気がしています。

 

知多半島という場所で、同じようでゆっくり変わっていく景色に向き合いながら、自分の変化も楽しんでいく。これも、ブログを立ち上げた理由のひとつと記してこのお話はシメたいと思います。

次は、なんの話を書きましょうか。
まだもう少し動き始めるまでに時間がかかりそうなので、しばらくこんな感じに適当な話を書いていこうと思います。ご興味ありましたらまたどうぞ。

 

 

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