20210211_実像と事実あるいは

特に意味の無いお話です。

pakapakaumaです。

レンズを眺めていて、ふと思ったことがあったので書いてみます。
考えてもしょうがないことだってのは分かってますが、なんか面白かったので。

我々の目もそうですし、カメラのレンズもそうなんですがこれらは凸レンズなんですよね。で、光学的な話では見えているもの(網膜に集まった光)は実像と言われ、本来であれば理屈上は上下左右が逆のはずです。

それを無意識に「正しい向き」に変換してしまっているのは我々の頭ということになるのですが、これが仮に頭での方向変換をされなかった場合どのようになるのでしょう。

空が上で、地面が下という構図を実像を結んだそのままの形で認識したならばこれらは地面が上で空が下ってことになります。



そのように考えたとき、人間の頭って都合がいいもんだなと感心します。
光は上下左右逆がありのままであるのに、強制的に「変換」しているのですから。
ありのままを撮るということを意識してカメラなんかを使っている訳ですが、先に書いた理屈から辿ると、そもそもカメラで光を焼き付けるという行為は実像を焼き付ける行為であり、すなわち上下左右逆であるのが「ありのまま」なのではないのかなって。



事実とは一体何を指すのでしょう。頭で変換した後のソレが事実なのか、光が網膜に結像した実像が事実なのか。当たり前のことなのですが、目の前のもの(光)を認識するだけでも逆転させてしまう高度なフィルターを常に介しているわけですから、そういう見方では事実なんてものはアリはしないのかもしれません。それはいわば「真実」といわれるものに近いのかもしれません。


ちょっと前、いつだったか逆さまの写真が流行った時期があったような気がします。
その写真の世界観や意味付けだったりするものは多様ですが、実は「逆さまの実像」そのものこそが事実だったりした場合には逆さまの写真という表現は割と正解のひとつだったのかもしれませんねぇ。


という、とてもくだらない話でした。

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