20191128_隣町の集う半島



最後に隣町の路地裏を歩いたのはいつでしたか?



pakapakaumaです。
今やっていることになんだか既視感があって、なんだろうかと過去の記憶を呼び戻してみたら、あぁなんだそういうことか というのが今日の話。

じっくり時間をかけて「前回の続き」を繰り返すこの頃ですが、1日で周れてしまうと言われているこの知多半島が、最近はもっと大きなものに感じられます。隣町の向こうには知らない隣町がずっと続くのです。

なんだそんなこと当たり前じゃないか。と言われるかもしれません。
えぇ、当たり前なんです。近所にはスーパーがあって、通学路を歩いた先に学校があって、その向こうには小さな川があって、その向こうには山があって、畑が続く農道の向こうは…。まだ知らなかったりします。

昔のことですが、 行ったことがある場所が世界の全てのような気がしていた子どもの頃は、 いつも遊んでいる公園の向こうにある公園で遊ぶというだけで、もうそれはそれは大冒険でした。初めて行く友達の家だったり、買ってもらった自転車で行く学区外だったり。夕飯までに戻れるだろうかなんて気にしたりして。
小さなことを知るだけで、毎日ワクワクしていたものでした。
堤防から見える向こうの街なんかも気になったりしながら。


そうしているうちに、電車を使うようになって 車に乗るようになって ネットで先に見た景色と同じものを見たくなって、どんどん遠いところまで行くようにはなりましたが、歩きか自転車しか無かった時に覚えたあのワクワク感は半減していました。いつからやめてしまったのだろうかと、ふとそんなことを思い出しました。



この歳になっても、育った町のすべての道を知っている訳でもなく すぐ隣にある町のことさえ尚更に知らないわけです。それは知る為のスピードが速くなってしまったからだとも思っていて、通過したから 何かで見たから「知っている」と無意識にそう思いたかったのかもしれません。気にはなるけど、まあいいかというような。


今は多分、子どもの頃に感じていたワクワク感の続きをもう一度体験しに行っているのだと思います。大通りから一本裏に入った道で足を止めて写真を撮りながら。たまに地元の方と世間話をするなんてしてみたりしながら。





意識してなかったですが、自分がなんだかんだ楽しんでこういうことをやっていけているのは、そういうことなんだろうなぁと。

もう使い古された表現だと思いますけど、大人になってしまったって 小さな大冒険をやっちゃダメな理由は無いはずです。車の窓から見えていただけの、いつもと違う交差点で曲がってみるだけでも大発見なんですから。


そこで、知多半島に対するイメージを主観で改めて表現してみます。




「隣町の集う半島」




5つの市と、5つの町があって、全部知らない隣町の続き。春も夏も秋も冬も、前に訪れた時とは違う景色を見せてくれます。どこだって同じようなことは言えるけど、この形の半島でこの形の街と全く同じ場所は無いのです。


際限はあるけど際限のないものがが集っています。あの堤防の先や、山の上から見た景色はどう見えるんだろうと想像しながら進む路地裏には新しい発見が続きます。小学生の頃に感じた隣町へのワクワク感を思い出しながら。





単純なことではありますが、ゲームと同じで用意された攻略本の最短ルートを通るだけでは見つけられない楽しさがそこにはあります。 サッと巡れば1日で、じっくり巡れば一生。その場所で実際に見て撮って感じたものは、ネットにも情報誌にも旅番組にも無いものだとも思います。 と、こんなブログを書く者が真逆のことを思ったりもするのでした。
間違えてこの雑感を読んでしまった方へは前提のイメージに左右されることなくワクワクしながら自由に巡っていただき、各々の知多半島のイメージを持って帰っていただきたく思います。このブログは僕のイメージに尽きるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。