20190811_知多半島の海側を巡る_02-1_東浦町_【東1/4】

pakapakaumaです。

「海側を巡る」の2回目は知多半島の東側1/4にあたる東浦・半田・武豊を。同エリアを2回かけて巡ってきたことになるので、撮影日としては7/13と8/11になります。7月は自転車、8月は車です。撮影日は画像ごとに注釈を付けておきます。ちなみに自転車の日はチートではありますが、東浦の実家駐車場に車を置き折り畳み自転車移動です。

縦に長くなっていきそうなので、以下のように町ごとに分割します。
知多半島の海側を巡る02-1_東浦町_【東1/4】
知多半島の海側を巡る02-2_半田市_【東1/4】
知多半島の海側を巡る02-3_武豊町_【東1/4】


02-1_東浦町の海側

東浦と海、一見何の関わりも無さそうに見えます。
確かにぱっと見 海といえそうなところはほとんどありません。

公の資料でも知多半島における衣浦港の最奥が東浦町とされていたのですが、実際にはどのあたりが最奥なんでしょう。北より逢妻川・境川が流れ、切れ目にあたりますが、そのあたりを盛って書いても港とは言い難い景色です。
まぁ、海というよりはまだ川の範疇ですね…。


現状を撮っただけで表しにくいので、歴史と昔話に繋がっていきそうですがここはそれで勘弁。というわけで…住んでいた人間としてなじみ深い「海のにおい」を感じそうな場所を中心にめぐってみました。(時間が前後しますごめんなさい)

 


※東浦町石浜 8/11撮影

まず、東浦の特徴として内陸から海側へ向けて住宅、武豊線、田、道路、田、海という順番が北から南までずっと形成されています。
実家へ寄ったとき、90歳をこえる祖父に聞きましたがこの写真の部分は武豊線線路付近まで海であったとのことです。

つまりはほとんど埋め立てということです。海抜としては2m程度でしょう。
なぜ住宅が武豊線より西側にあるか が分かるものです。
田んぼと道は規則正しく真っすぐに並びます。

道路を挟んだ向こう側に見える景色は以下のようなもの。


※東浦町石浜 8/11撮影


※東浦町藤江 8/11撮影

以前は石造りの簡素な堤防であったとのこと。

覚えている範囲では、知多半島内の堤防でずっと歩くことができるところというのは少ないので その意味では東浦の特色と感じました。
例えば企業が多く進出する半田、武豊、また伊勢湾側の知多市、東海市の海側は途中で敷地による制限が出てきます。(関係者以外立ち入り禁止のような)

漁港においても、その性質は少なからずあったりしますので。
ただ車でガンガン入っていっていいところかというとそれもまた微妙なところなんですけどね。地元民の朝の散歩コース的な位置にあります。

自分が小学生の頃、この辺りは既に写真と同じ景色でした。
今ほとんど変わることの無い堤防沿いですが、そこが個人的に懐かしさを感じるところでもあります。よくここで釣りをしたのを覚えています、堤防釣りの定番であるハゼは夏がくると飽きるほど釣れました。
この日もやはり、よく釣れていた地点には釣り人が訪れていました。地元の小学生がたまるところはよく釣れたりするものです。


カニやフナムシも沢山居ます。


※東浦町藤江 7/13撮影

しかし全く変わらないということも無く、地元を離れていた間に公園施設が整備されていました。少々舗装が荒れているところもあったのですが、このように新しい動きがあると周辺の整備も進みます。優先順位としては後回しなのでしょうが、徐々に進んでいるように感じられます。

 


※東浦町藤江 7/13撮影


※東浦町藤江 7/13撮影

埋め立てる前を表すものとして「衣ヶ浦藤江越し跡」があります。遥か前、付近の人々は渡し船で対岸と行き来していたということなんですねぇ。


※東浦町藤江 8/11撮影


※東浦町藤江 8/11撮影

武豊線からはJR東浦駅より、衣浦臨海鉄道が碧南方面へ分岐します。
貨物列車の運転手は手を振るとにこやかに振りかえしてくれるおじさんだったのを思い出します。

特別な海感は無い東浦ですが、川から海へと変わる「はじまり」の場所であることは感じられました。新しい気付きとしては、天気のよい日の朝 水面に映る空がきれいだったということ。大きく荒れることのない水面は撮るという意味ではいい場所でした。

藤江の端からは半田市の港が見えます。
次回は続く半田の景色について。

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