だったのかもしれませんねぇ。でもそうだったなんて言いたくはないですよねぇ。
pakapakaumaです。
またこの季節がやってきました。
花粉の季節です。
一般的にはスギ花粉が花粉症のソレらしいのですが、どうも自分は周りとズレているようでこの5月頃からが大変な時期です。
草本花粉と呼ばれるものに弱いようです。
そこらへんに生えている雑草。なんだろうと思っていたら、どうもこいつのようです。「ホソムギ」または「ネズミホソムギ」。自宅近辺を囲むように茂っています。
昔はこれを根元からブチブチと取って投げ合っていただけに、まさかであります。
歳をとって弱くなるものもあるんですねぇ…。
これがダメってなると、今後の撮影はなかなか厳しいものになりそうです。
知多半島はこんなのばっかりですし笑。
さて、この頃はネットそのものから離れておりましたが相も変わらず新しい問題に騒いでおられるようで。アレに騒いでいたかと思えば今度はソレ、で アレの件はどうなったかと思えばもう過去のこと。あんなにドンパチやっていたはずなのに現代人は飽き性なのでしょうか。
特にこの頃の問題と言えば、個人の行動、モノの考え方や言い方、あれは良くてこれはダメ。っていう一番人間が関心を持つ感情の面に訴えかけるもの。ずっとそういうものは潜在的な問題としてあったはずなのですが、気を紛らわすものが減ってしまった現状ではとうとう顔を出してしまったようです。 いつからこんなに暗い話題ばかりになってしまったんでしょう。
総じていえることは、問題の核心とは別のところで拡大解釈がひとりあるきしている状態であることかと思います。そしてそれは大きな空気感となり、別のベクトルの一体感が作り出されてしまっています。その空気感が一体何者で、何によって作り出されたものなのかをもう一度考えてみる冷静さも欠如しています。
本来はこれから上昇すべきところにあるはずがバラバラになる方向に向かっているのです。これが悪い夢ならばどんなによかったことか。
そう考えると何かと笑っていられた今までは幸せだったのかもしれません。
今のいろいろな事柄が夢、幻なのか。
それとも今までの日常がそもそも夢、幻だったのか。
果たして「どちら」になるんでしょうか。
まぁ自分の日常記録を暗い話題で締めようとは思わないので、最近撮った霧の写真のことでも書いておきましょう。
5/17のこと、タバコを切らしてコンビニへ向かった深夜2時。いつも以上に視界が遮られるような霧が出ていました。本来ならば直帰すべきなのですけど、もしかするとこんなふうに豊田市内で霧を拝めるのも最後かもしれないと思い、市内中心部の某展望台へ。
これは去年2019年の11月末、自宅アパートより撮った霧が濃い朝のこと。
この日のことが忘れられず、引っ越す前にもう一度こんな日が訪れないかと待ちわびておりました。それが今年の初夏のこととは思いもしませんでしたが。
この山の方角からこちら側を見る感じになります。
気温14度、湿度94%、風速は0.2m/s 北。
3:50 いつもなら夜景が広がるスポットなのですが、灯りひとつ拝めませんでした。
車の中で待機し、5:00頃。
雲海と化した霧とご対面。来ておいてよかった。
素晴らしい霧の朝の景色も過ぎてしまえば夢、幻。
こういう夢なら何度でも見ていたいのですが、現実はどうもそんなに甘くはないようです。
過ぎてしまえばって、笑っていられる日がまたやってくることを祈りつつ。
今は花粉が辛いのでホントの意味での「自粛」をすることにしましょう。