pakapakaumaです。
知多半島内の春祭りがそろそろ終わる頃。
このサイトで普段触れているものとは性質の異なる「祭り」というものについて少し考えてみたはなしです。とてもザックリですが。今回は山車祭りについて。
で、そんなことを言いながら自分は祭りについてよく知りません。
なんとなくで出向いていた祭りですけども、ではそれを人に的確に表現・説明できるかと問われると なんとも難しいのです。何を意味し、どのような目的があり、どのような歴史があるかという点については調べれば出てきます。ふーんってなりますけど、なんか薄っぺらい。
多分「祭りの味」は「人」との関わりが濃すぎるから表面上の説明だけでは追い付かないんでしょう。教科書的な知識以外の面についても実際に観てみないとわからないものです。もしかしたらそれでも分からないかもしれない。
土地の特色と、住む人と、近隣との関わりと…。ほんとうに多岐に渡ります。
今まで深いところまで興味関心を抱かなかった人なので、小さいころに連れて行ってもらった時の「なんだか賑やかな、屋台が出ているところ」というイメージから抜け出せていないのも理由のひとつにあります。
というわけで、まったく知らないよりは少しでも知っておいたほうがいいだろうと思い、純粋に観るという目的で、今年は常滑市北部の山車祭りを観にいってきました。(均一には周れていませんので、山車の名前などは控えさせていただきます。)
祭りの基本は信仰をベースにしたものですので、興味の無い人には本当に興味が無いはず。それなのになぜ観る人、執り行う人が絶えないのか。
おそらく、華やかなレジャー的な側面と儀式のような側面の両方が、ちょうどいいバランスだから。そして、近隣の理解と次の世代の参加という理由が強いように感じます。
ひとつ驚いたことは 「祭りに対する考え方は地域により大きく異なる」のだろうこと。自分が住んでいた地域は、外から入ってきた人が多い いわゆる新興住宅地。祭りがすごく有名な場所でもないので、若者も参加に関してはどちらかというと消極的です。今のご時世そういうものだとばかり思っていました。
しかし、実はそうでもなく半田・常滑のように地域内でも、対外的にも祭りの動きが盛んな地域は若い人が多い。規模の大小問わず活気があります。
そして小さなお子さんを連れた親子もまた多いのです。
このあたりが地域の祭りを続けることができるポイントなのかもしれませんねぇ。その地域に住む、小さいお子さんを持った家族が地元の祭りに出向き 参加するという動き。
子どもさんからしたら 友達と少し羽目を外して遊べて、屋台で親にねだることができる。そうやって祭りというものに馴染みつつ、小さい頃から見知った近所の兄さんやおじさんが、大きな山車を誇らしげに曳き回し、ワイワイと祭りを行っている姿を見る。
そのようにして育った子どもたちは、山車に関わるということが、職業に対する憧れに近いものを感じるのかもしれません。勝手な推測ですが。よそ者の自分からしても、山車を曳き回す大人たちは皆誇らしげにみえます。
年配者は周りに気を配り、若い者は精一杯祭りを盛り上げる。
いつ見ても役割分担がしっかりできているように感じます。
上の世代が下の世代へその場で教えている場面も見られました。
見て覚えろではなく、教えるということができているのは素晴らしいことだと感じます。祭りの中心に居る人々が世代間で壁を作らないというのは次の世代へ繋げていくための大切な要素だと思います。
しかしながら、その輪の中に入りたいと思えるような活気と風通しのよい空気を維持していくのは大変なことでしょう。
山車祭りは道路を通行止めにして行われます。音にしてもそうですし、近隣の理解が無ければ成り立たないですが、その理解以上に皆楽しみにしているようです。
今回は常滑の一部地域を近くで観て感じたことを書きましたが、たぶんこの傾向はどこの地域も似たようなものなのかもしれません。
自分がもし、そんな地域に生まれていたら同じように祭りに関わっていたのだろうかと考えてもみますが、やっぱりそれはそこに生きる人しか分からないんでしょうね。
さらっと触れるだけでも面白い山車祭りなので、これ以上のめり込んではならないかなと思ったこの頃でした笑
書き始めたら止まらなくなってきたので切れ目が微妙ですけど、これくらいにしておきます。
とりあえずまたGoogleフォトのアルバムだけ貼っておきます。
20190427_常滑市 西ノ口祭り
20190427_常滑市 小倉区山車祭り
20190503_常滑市 大野祭り